BOHEMIAN
京都大学 アウトドアサークル ボヘミアン
無人島
ご存じのとおりこの大学の夏休みは8月、9月の丸2か月間ある。その夏休みも終わろうかという9月末に我々
は無人島へ行った。瀬戸内海は太島(ふとんじま)、昼12時に上陸し2日後の昼12時迎えの船で帰る、48時間
をどう過ごすか、そういう企画である。もう少し詳しく説明しておくと、我々が島に持ち込める物品、又物品の数
には制限が設けられて、今回は水・寝袋・その他3アイテム(調味料を除いて食料と呼べるものは認められない)
が持ち込み可能となった。また、参加者同士で誰が何を持っていくか等事前に打ち合わせを行うことは禁止である。
行きしなの船の上、皆思い思いの昼食をとっている。これから48時間まともなものを食べることがないのだから
と寿司を食す者、いいものを食べてから急に半絶食状態に突入するのは体へのショックが大きいといっておにぎり
など軽食をとる者、普段通りマクドナルドを食す者など様々であった。瀬戸内海には小島が多く、この島がそう
じゃなかろうか、いやあっちの島が、ってあの島岩しかねーじゃねーか、などとはしゃいでいるうちに目的地太島
に到着した。港を出て20分ほどであった。太島は形が面白いのでお手持ちの電子機器で確認してもらえたらと。上
陸してまず空き地に張られたテントを発見。先客がいるようだ。予想はしていたが、萎えた。島の反対側にある別
の空き地に荷物を置き、私は海へ向かった。ほかの参加者も島に四散して探索を開始している。それにしても風が
強い。というか肌寒い。それでも私は絶対海に入るんだと決めていていたので、早速パンツ一丁になり突入してみ
た。いや、突入というほど勢いのあるものではなかったのだが、まあ肩がつかるまで10分ほどかかった。ほとんど
修行である。海水は冷たく、一気に肩まで浸かる勇気は出ない。かといって一旦水に濡れた箇所は風にさらされる
とめっぽう冷えるのでそのままの体勢を維持するほかない。そういう攻防が10分続いたのであった。なんとか肩ま
で浸かったところで顔をつけてみる、魚はいない、貝もいない。浅い場所なので泳ぐこともできない。海を出た。
寒い。ここでようやく私は気付いたのである、夏休みは寒いということに。これまでの人生、夏休みは暑いもので
しかなかった、その経験を逆手に取ったミスリーディングということか。やってくれるじゃないか大学。そして私
は次の重要な事にも気づくのである。夜はもっと寒いんじゃね。
空き地に帰ると島で拾ってきた発泡スチロールで寝床を作っているボヘミアンがいた。やはり寝床をこしらえる
のは重要だ。まず自分の装備を確認しよう。リュックから寝袋を取り出す。ボヘハウスには常に2、3の寝袋が落ち
ている。そのうちの1つを私は持ってきた。リュックに詰める時薄いなーとは感じた。確かに、なんかシャカシャ
カしてるなー、薄いなーとは思った。でもなんだこれ、なんで内側にこちらがサドルですとか書いてるんだ。なん
で向こう側にはこちらがハンドルですとか書いてるんだ。なんでこんなにも自転車がうまく収まりそうな形状をし
ているんだ。なんで自転車のカバーなんだ。
というわけで私は下に敷けそうなもの、体に巻けそうなものを探す旅に出た。遊びに来た人たちが捨てていくの
だろうが、島にはペットボトルや開封済みの焼き肉のたれなど様々なごみがある。海岸に落ちているビニールシー
トの類を集めてみたが、ぼろぼろのあまり大きくないものが2枚、まだしもなブルーシートが1枚という状況。こ
れではしのげそうにないが、と思いながら空き地に帰るとボヘミアンが釣り具を広げている。釣り具なら私も持っ
ている。一旦釣りをすることにしよう。食料の確保も大事だ。釣りに適していそうな岩場へ移動して釣りを始める。
小魚ではあるが釣れる。ベラ(かな?)とハギっぽい鱗のないざらざらしたやつ。空き地へ帰り、火おこし班と調
理班に分かれ晩飯の支度。私は海岸へぼろきれを探しに行ったりもした。そして迎えた初の食事。ここで誰も醤油
を持ってきていないことが判明、事前に打ち合わせしてはいけないというルールのせいか、誰かが持ってくるだろ
う、そんな意識が招いた事故だった。これではもとよりひもじい食事がさらにひもじさを増す。しかしそこはボヘ
ミアン、島のどこかから未開封の焼き肉のたれを見つけてきた強者がいた。にんにくのたれもセットだ。これらの
力もあって量こそないが充実した食事となった。小魚のほかには貝が数種類、カメノテなどが並んだ。食後には誰
が始めたでもなく、貝殻で焼き肉のたれを煮詰め、若干の焦げをつけてから箸(海岸で拾ってきた)でこそぎ食べ
るという発明も生まれた。また、一日目にして早くも飢えで気が触れたのか、松の葉(針みたいなやつ)を煮たら
食えるんじゃないかと言い出す者も現れた。煮た結果、香りのよい湯が出来上がった。これを松の湯と呼ぶのだな
と思った。
最初の夜を迎える。ここで私は第二のアイテム蚊取り線香を召還した。寝る時の蚊、虻に対抗する策である。や
や風上で寝てしまい私はその恩恵に与ることができなかったが、多くの参加者は、え、蚊?全然来なかったよー、
そう言ってくれたのでよかった。そして私は夜を迎えるためにもう一つ現地調達のアイテムを用意していた。そう、
石である。晩飯の時から私はこれに注目していた。焚火の火を受けているそれ、それを懐に抱いて寝ればどれだけ
暖かいだろう。スペアの石を焚火の近くにセッティングして温めておくことも忘れなかった。ぼろぼろのビニール
シートを敷き、収まりの悪い自転車カバーに身をねじ込み、ブルーシートを掛布団に、私は石を抱いて寝た。何度
寝て、何度起きたことか。ある時は蚊に起こされ、ある時は寒さに起こされ、ある時は熱すぎる石に起こされた。
起きるたび、位置を変えぬ月を見て、嘲笑うように輝く星々を見て、私は夜の長さと、家の大切さを知った。やが
て空が白み始めたころ、私は自分の身体が震えているのを感じた。これ以上は危険だ。火の番人富永が夜通し守り
抜いた焚火に当たって朝を待った。日が昇り寒さも和らいだころ、私は改めて眠りについた。
二日目はもっぱら魚を釣っていた。途中からは一人で釣っていた。他の人たちはなぜ釣ろうとしないのか。これ
は迎えの船が来ることを前提としていることに端を発した問題なのではと思う。彼らはあくせく労働してなんとか
食料を得ようと努力するより、飢えて迎えを待つ方を楽だとしてそちらを選んだのである。これは問題である。
もっとサバイバルに本気にならなければならない。それならば、迎えを待ったりなどせず、たとえほんの少しの足
しにしかならなくても魚を求めるはずである。せめて滞在時間を72時間に増やすべきであることをここに提言して
おく。いや、他の人たちが帰ったのは針が切れたからだったような気がしてきた。まあ、よいか。
二日目の晩餐はカメノテが主役であった。その食べにくさで満腹感を高めていこうという作戦である。二日目と
もなると目新しさはなく、早くから寝床に向かう者もいた。夜、私はまたしても石を抱いてしのいでいたのだが、
火の番人富永が焚火を放棄したため石を温めることもできなくなり、仕方なく人の寝床に潜り込むことにした。唯
一受け入れてくれそうな甲斐の寝床に潜り込む。ごめん、入れてくれん。別にいいよ、でもはみ出ちゃうんじゃな
い、大丈夫?。私はその時甲斐を、心の番人甲斐と呼ぶことに決めた。
なんとか夜も越し、あとは船を待つのみである。生来のトークマシン(口の番人)山口が場を盛り上げようと奮
闘するも、気付けば皆無言である。虚ろな顔の面々。その心中では空腹との戦いが熾烈を極めているのだろうか。
12時が近づき誰と無しに移動を始める。そして船が来た。私には食への架け橋に思われた。無言で乗り込む、島を
後にする。もう二度と来ないだろうね。そう言うと経験者は、どうせ忘れるからまた来るよ、と言った。火の番人
がどこに隠し持っていたのかスポーツドリンクを取り出した。回し飲みする皆の顔は明るい。私は、これじゃない、
固形がほしいんだ、そう強く思ったのを覚えている。本島に無事帰還し、無人島から予約しておいたスシローへ向
かう。握りを一口、嗚呼、これを至高の美味さで味わうために無人島へ行ったのだな、そう思えた。デザートメ
ニューを一口、嗚呼、糖分もね、そう思えた。ビックらポンを一回し、嗚呼、外れたー、そう思えた。
因みに私の第三のアイテムはギャツビーのフェイシャルシートであった。上のような状況で爽快さを求める瞬間
など無かったことは言うまでもない。こんなでもいいなら、こんなのがいいなら、あなたをボヘミアンに歓迎しよ
う。
文責:キシン